Sunday, January 30, 2011

動物園

Black-crowned Night Heron
personal grooming

LUMUX DMC-GF1 と Canon New FD 300mm F4(1979年発売)を持って上野動物園に行ってきた。これぐらいの望遠になるとなかなか出番がない、子供の運動会、動物園、飛行場、鳥ぐらいしか撮るものがないのではないか。
とりあえず、何時でも撮れる手軽な定番の動物園に行ってみた。
先日の植物園と同じで色収差が目立つ。
等倍にしないと気にならないのかもしれないが残念な結果だ。今回、軸上色収差のことをすっかり忘れて、前回と同じで開放で撮ってしまった。次回は、もう少し絞り込んだら軸上色収差がなくなるのかどうかというあたりを試してみよう。
前に、AI NIKKOR 300mm F4.5 を EOS 10Dに付けて撮った時も、色収差は凄いしピントは合わせづらいしで厳しかったので、このころの300mm F4 で廉価版クラスのレンズとしてはこの程度が普通のレベルだったのかもしれない。

Saturday, January 22, 2011

収差フィルター

Zero
Canon 50mm F1.4 S-Mount

ladle
Canon FL 55mm F1.2

ここのところ古いレンズをGF1に付けていている。レンズは「硝材、コーティング」の2つによって大きく進歩したようだ。

光学性能の面から言うとレンズの進歩=収差の削減だと考えられる。そう考えると、硝材の進歩で色収差が、コーティングの向上で単色収差(サイデルの5収差)が解決できるようになった結果、レンズは大きく進歩したと言えるだろう。
技術の大きな進歩はいくつかのブレイクスルーと複合的な要因が合わさって起きる、コンピューター、非球面、鏡筒制作などの複数の要因もあるので、ちょっと単純化しすぎかもしれないという気もするが、「硝材、コーティング」が最も重要な進歩要因だったのではないかと思う。

今では、非球面レンズによって少ないレンズ構成で収差を無くすことができるようになっているので、ますますレンズが良くなっていく。これにデジタル補正を入れると、さらに飛躍的に進歩することは間違いない。

おそらく、今後は収差の無いレンズが優秀というより、デジタル的に処理しやすい収差があるレンズが優秀という定義になっていくのだろう。今のところデジタル補正の問題は、データを補完して生成しているので不自然になるのではないかということだと思うが、十分にデータ量が多ければ補完は問題にならないだろう。

写真は趣味的な側面も多いと思うのでサードパーティ製のレンズに付いても、デジタル補正が使える用にするとか、「デジタル補正=収差を取る」と考えるだけではなく、「ベス単フード外し風の収差フィルター」をデジタル補正で実現するなど、利用者によって遊べるところを増やすといいのではないかと思う。

Thursday, January 20, 2011

携帯、コンデジ? L-03C

a shoe with a hole

今度Docomoから出る LGの携帯 L-03C は、ほとんどコンデジと区別がつかない。
1/2.3型CCD で、F3.1始まりの3倍ズーム、しっかりとしたシャッターボタン、Optio RS1000 と似たようなスペックだが、グリップや、シャッター周りなどは L-03Cの方がよりカメラらしいほどだ。

ハードウェア的には、普及型のコンデジと同等と言っても良いだろう。iPhone のカメラでもコンデジの地位を脅かすと思っていたが、L-03C のスペックだとコンデジに携帯機能を内蔵した言っても何ら問題が無い。

この様子だと携帯によって腕時計をもつ人が減ったように、コンデジも駆逐されるのかもしれない。そのときは、趣味性が高いものだけが生き残ることになるだろう。

Tuesday, January 18, 2011

本当の画

marking

最近のデジカメが実によく映る。原理からいうとRGBの格子状のフィルター通ってきた光をCOMS/CCDの感光素子で捉えているわけで、1000万素子とか言ってもRGBそれぞれに分けると1/3程度、(正確に言うとベイヤー構造なので、R:1,G:2,B:1) で、各色250万画素程度の解像度となる。

これが多いか少ないかは議論の余地があるところだが、実感でいうと600万画素程度あればフィルムと遜色ない感じだ。

一口にフィルムと言っても、微粒子のものから高感度で粒子の荒い物まで種々雑多で比較の対象に困るが、普段使っていた、ISO 100から400の間のカラーネガと比較すると600万画素程度でフィルムと同じかなという感じる。

RAWデータをいじるとあまりに大きく変わるので、「本来の絵はなんなのか?」という気にはなるが、撮影時の意識に映像を近づけることができるのは素晴らしい。

RAW現像というと聞こえは良いが、レタッチと基本は同じなので加減が難しい。
レンズの収差補正もソフトウェア的に行うと言われると、「余計本当の絵はなに?」と言う気になる。

まあ、びっくりするぐらい LUMIX G 20mm/F1.7 ASPH はよく写る。ボケも綺麗だ。

デジタルの気軽さ

devotion

所有の Summar f=5cm 1:2 はあまりコンディションが良くなく、レンズにはクリアさが欠け、絞りもヘリコイドもスムーズに動かない代物だがデジタルで気軽に使えるとなるとなんとなく使ってみたくなる。

撮ってみても結局RAWをいじくり回して、なんだかわからないようになってしまっているのが残念でもあり、楽しくもありと言う感じだ。

SILKYPIXがいまいちだと思い、Mac App Store で安くなったのを機会に Aperture を試してみたが、これもピンと来ない。DPPは意外とよくできいるんだと改めて関心した。

なんだかんだ言って、まだ、Canon EOS デジタルの総合力は一歩先んじているのかもしれない。
とは言っても、Nikon は試したことがない。そのうち試してみたいと思う。

Sunday, January 16, 2011

Canon FL 55mm F1.2のレンズ構成

face
Canon FL 55mm F1.2, 饕餮

レンズ構成の資料を探したところ、Photography in Malaysia にあった。このサイトは、戦後日本のカメラ情報が豊富でよくまとまっている。

レンズ構成は、現在の変形ガウスタイプと異なって2枚目と3枚目の張り合わせになっていて、ダブルガウスの後ろに一枚凸レンズを追加した構成となっている。



同時代の、FL 50mm F 1.4 II では、2枚目と3枚目は離れていて別群になっているところを見ると、1.2にしたことで深刻化した表面反射の問題をモノコートの制約の中で解決しようとしている様子が伺える。

このレンズは、はまると実に良く写る。反射の問題は斜めからの入射光を抑えることで軽減できるはずのでの、フード付けてまた試してみようと思う。

写真は、東京国立博物館にあった青銅器の饕餮文。饕餮は中国神話の怪物で、殷代から周代にかけて青銅器や玉器の修飾によく見られる文様。

Photography in Malaysia: FL 55mm F 1.2
Wikipedia 饕餮
東京国立博物館 饕餮紋ホウ, 商代後期, TJ4785, 坂本キク氏寄贈

Saturday, January 15, 2011

東京国立博物館

I worship it
box
scar-faced

東京国立博物館はカメラを持って出かけるには良い所だった、都内の撮影スポットとしては有数の良い場合ではないだろうか。国内の博物館、美術館は撮影禁止のところが多いイメージだったのと、暗いと三脚無しでは厳しいということもあって、今まで撮影場所として意識していなかった。

東京国立博物館は原則撮影許可で、撮影禁止の展示物はその旨掲示するという方針だそうだ。展示物のほとんどは、東京国立博物館が所有権を保持しており、著作権も切れているので、そのようなことができるのでないかと思う。

三脚が使えないのは厳しいが最近のデジカメは暗いところに強いので結構楽しめる。残念ながら、GF1は高感度特性が悪くISO 400が限界だ、モノクロにしてしまうとISO 800でも十分見栄えのする絵を出してくれる。

レンズもハイスピードということで、Canon FL 55mm F1.2を使った、このレンズは、モノクロで使うと開放でも十分使えるが、カラーではボケの汚さが気になるときがある。

Canon FL 55mm F1.2 は、カラー時代に入ってからのレンズのはずなので、カラーが苦手というのはどうなのかと思うが、レンズの明るさ重視の設計なのだろう。

キャノン カメラ ミュージアムには「5群7枚構成、うち4枚の新種ガラスの適切な光学系配置により高次の球面収差、像面湾曲を十分に除去し、大口径レンズに起こりがちな内面反射の吸収も完璧に近づけている」と書いてある。当時はまだマルチコート前なので、レンズの構成枚数を多くするわけにもいかず、大変だとだったのではないかと思われる。

博物館内で博物館の宣伝ようのポスターにオリンパス35DCを発見。SPだと大きくECだとF2.8で少しレンズが暗い。DCだと、小さくても40mm F1.7のレンズである、なかなか渋い選択だ。

キャノン カメラ ミュージアム:FL55mm F1.2

Monday, January 10, 2011

LUMIX G 20mm/F1.7 ASPH

rice cracker
safe

LUMIX G 20mm/F1.7 ASPHは、キットレンズにも関わらず非常によく映る、最短距離が0.2mなのも使いやすい。最新の光学技術とデジタル技術の融合がここにある、素晴らしい。

収差が無いのはそれはそれで素晴らしいが、写真として鑑賞したときに撮りたいものが表現できるかどうかは別の問題だ。収差によって実際には存在しないものが映ってしまうのとうのは気になるが、頭の中で結像したイメージをどのようにカメラで写し撮るかという観点で言うと、収差も表現方法としてあっても良い。ただ、色収差はなんともし難く邪魔なだけのように思う、口径食も使えない。
そういう観点からいうと、Summar f=5cm 1:2 の感じは、いい味と言えるのかもしれない。

良いレンズかどうかの評価は「自分の表現に使えるか」という観点で考えるのが良いように思う。

コモディティ化が引き起こす変化

Keihoku Hakari

朝日新聞 Globe No.55 「写真は死んでいくのか」が面白かった。インターネット版にリンクをしておくが読むなら紙の方をお勧めする。どうも、同じものでは無いようだ。

写真の世界では、ここ数年の間で高価な機材、特殊な訓練などでプロフェッショナルな世界で閉じていたものが、急速に低価格化、自動化が進み、コモディティ化されたためにプロとアマの境界が曖昧になり職業としての写真家が苦しい状況になっているというのに対して、写真自体は力を増しているという話だ。

このような変化は、日々他の分野においてもありコモディティ化によるブランドの消失、画一化で産業構造が変化している。

写真に置いては、その変化が急激で産業構造の変化にプロ側が追従しきれないという問題が起きているように思う。職業写真家でも高価な機材、特殊な訓練で保護されていない領域で勝負をしていれば生き残れるが、コモディティ化された領域だけで勝負をしていた場合は厳しい現実が待っている。
情報技術の発展によって、従来では考えられなかった速度で、予想外の場所で変化が起こることが多くなるだろう。

この記事で、取材の対象になっている写真家はいずれもコモディティ化された領域外を持っている方のようなのだが、それだけでなく、コモディティ化された領域で仕事をしていた人達に切り込んだ記事もあると面白かったと思う。

そのあたりは、どちらかというと個人事業主、解雇規制、雇用流動性などの雇用の問題なので少し毛色が違うが、流動性を担保するのは今後の日本経済を考えると重要な問題だ。

Saturday, January 08, 2011

色収差

brown

daffodil

LUMUX DMC-GF1, Canon New FD 300mm F4(1979年発売)と一脚をもって写真を撮りに出かけた。さすがに、この長さになると手持ちは厳しい。

GF1ではピントが拡大で確認できるのは良いが手持ちで液晶覗き込みでは像が定まりずらい。開放で取りたいのでシャッタ速度は稼げるがピントが薄いのも厳しく、素直に一脚などを使った方が精神衛生上良い。この組み合わせだとフロントヘビーになり過ぎるのもピント合わせが難しくなる原因のようだ。

これらの問題は、一脚を使うとほとんど解消する。

撮ったものを等倍でよく見てみると赤と青の色収差が結構でているのに気がついた。フィルム時代は、よほど色収差がひどい場合でないと気付かなかっただろうがデジタルでは容易に拡大できるので容易に確認できる。上の写真だと、茎のあたりなどに赤と青の部分が出ている。開放(F4)で撮っているので、絞り込むことで軽減される軸上色収差も出ているはずなのでレンズにとって悪い条件ではある。

まあ、今回使ったレンズ(L無し版)は、発売当時としても普及品扱いだったので、こんなものかもしれないという気もするが、こうなると、Canon New FD 300mm F4Lとも比較して見たいが残念ながら手元にない。(結構いい値段するので、試しに買うのも躊躇する)
最近は普及品でも、低分散、異常分散ガラス、非球面などを使うのが当たり前のようで、もっと上手く収差を抑えこんでいるようだ、さすがに30年経つと進歩するものだと感じる。

とは言っても、等倍ぐらいにしないと気がつかないので実用上は問題無いように思う。試しに、SILKPIXでRAW現像するときに補正を試みたが上手くいかなかった。これについては、もうしこし調べてみて再度やってみようと思う。

どっちかというと、35mm換算600mmは長すぎて手に余るのが問題、あまり出番は無いのかなと思う。

Nikon D3/D300は、ボディ内で倍率色収差軽減をしているらしい。こういう所がニコンらしいというか手を抜かない姿勢を感じて好ましい。

色収差について
第15回 :「レンズの大敵を知る」 ~収差 1~ デジカメの「しくみ」

Canon NFD 300mm F4

rise of the sun
smoke from the chimney.

Canon NFD 300mm F4で、日の出を撮った。135換算で600mm、太陽が結構大きく写る。色は、RAW現像時にいじっているので、だいぶ違うものになってしまっている。このレンズは、古いにも関わらずピントリングのトルク感が非常に良い。
赤帯付きでは無いので高価な硝材は使われていないはずだが、結構それらしく写る。

Wednesday, January 05, 2011

Canon Macro New FD 50mm F3.5

Canon New FD Macro 50mm F3.5

新年早々体調が悪く家に隠っている。手近なものでGF1 + Canon Macro New FD 50mm F3.5 の実力を試してみた。
解像度感が、MICRO NIKKORに負けている気がする。あまり、Macro っぽくないというか、撮ったものが悪かったのか。昔評判だった、FDレンズの発色に関してはデジタルだといろいろいじれてしまうので良くわからない。
この写真を撮る前に、GF1のレンズ交換をしていて撮像素子(LiveMOS)が丸見えでふと不思議に思った。機械式のシャッターが付いているはずだけど見当たらない。どうも、普段は開いているらしい。

常時、ライブビューが動いているので当たり前なのかもしれないが、フィルム時代からデジタル一眼レフまでを考えると感光面が見えているのは新鮮だ。
レンズを付けていない状態を何度かシャッターを切ってみた、シャッターが一度閉じてまた開くのが見える。しっかりと確認できないが縦走フォーカルプレーンシャッターのようだ。
ミラーが無いのに、シャッター音が意外なほど大きいのは閉じる開くの2回があるからだろうか。
良く考えてみると、この仕組だとシャッターが閉じている間はライブビューもブラックアウトするハズで、ストロボを焚いたときに見えないはず。これが一眼レフの弱点の一つだった。でも結局、撮影結果が直ぐ見えるので解決なのかもしれない。

GF1に限らず、デジタルでは、モデリングライトとか、ポラ撮りは不要になったようだ。

Monday, January 03, 2011

Summar F=5cm 1:2 No 420938

dipper

だいぶ長い間死蔵されていた、Summar F=5cm 1:2 No 420938 を出してきて使ってみた。この製造番号は、ライカ マニュアル 浦郷 喜久男著 によると、1938製造となっている。70年以上前のレンズで、残念ながらコンディションもあまり良くない。
さすがにカラーだとフレアというか全体的に霞がかかったような状態で厳しいものがあるが、モノクロにすると結構それなりに見れるものになる。
レンズ自体だいぶ古いし修理分解などの履歴もはっきりしないので、これをもって性能を云々することができないが、使いようかという気もする。